【美容医療】

田中晋也氏から学んだ「医者は医者である限り、経営者にはなれない」

なぜ、私は田中晋也氏に医療経営コンサルティングをお願いしたのか。
今になって振り返ってみると、理由はとても単純である。

医院を開業したかったからではない。
お金持ちになりたかったからでもない。
有名になりたかったからでもない。

一番の理由は、
「自分が良いと思う医療を、ちゃんと患者様に届け続けたかったから」
である。

ただ、ここが難しい。

良い医療をしたい。
患者様のためにやりたい。
医者として正しいことをしたい。
これは当たり前である。

しかし、開業してみると、それだけでは医院は続かない。
スタッフの給料を払わなければいけない。
家賃も払わなければいけない。
医療機器も買わなければいけない。
広告も必要になる。
人も採用しなければいけない。
教育もしなければいけない。
クレームにも対応しなければいけない。
患者様が来なければ、どれだけ良い医療を用意しても意味がない。

医者は医療の専門家である。
しかし、経営の専門家ではない。

私はそこを、開業してから本当に痛感した。

「医者は仁術、外科は技術、外来は人術」
これは大学病院勤務時代から、私がずっと考えていたことである。

医者は人を診る。
外科医は手で結果を出す。
外来では、患者様やご家族の不安を受け止めて、説明し、納得してもらい、前に進める。
だから外来は人術である。

その考えは今も変わらない。

ただし、開業して15年経った今、もうひとつ付け加えなければいけないと思っている。

良い医療を続けるためには、経営が必要である。

この当たり前のことを、私は田中晋也氏から学んだ。

田中氏は経営コンサルタントである。
しかし、私から見ると、ただの経営コンサルタントではない。

医療をわかっている経営コンサルタントである。
もっと言えば、医療にかなり傾いた経営コンサルタントである。

ここが大事だった。

世の中には、売上を上げましょう、利益を出しましょう、広告を回しましょう、というコンサルタントはたくさんいると思う。
もちろん、それも大事である。
医院も会社である以上、お金がなければ続かない。
スタッフの給料も払えない。
新しい機械も買えない。
良い人材も採用できない。
きれいごとだけでは医院は続かない。

ただ、医療はそれだけではない。

目の前には患者様がいる。
赤ちゃんがいる。
お母さん、お父さんがいる。
不安でいっぱいの家族がいる。

そこに対して、医者として何をするのか。
本当に良い医療を提供できているのか。
そこを外したら、いくら売上が上がっても意味がない。

田中氏から教わったことは、単純に「お金を稼ぎなさい」ということではなかった。

まず、良い医療をやる。
患者様に必要とされる医療をやる。
他の医院ではなかなかできないこと、自分たちがやるべきことをきちんとやる。
そうすると、患者様が来てくださる。
結果として売上はあとからついてくる。

ただし、ここで勘違いしてはいけない。

「良い医療をやっていれば、お金のことは考えなくていい」ということではない。
これは違う。

良い医療を続けるためには、やはりお金を稼がなければいけない。
利益を出さなければいけない。

利益がなければ、最新のレーザー機器も買えない。
スタッフの給料も上げられない。
教育もできない。
分院も出せない。
東京にも行けない。
そして、結果的に患者様に良い医療を届け続けることができなくなる。

医者は、どうしても「お金の話」を嫌がるところがある。
自分もそうだったと思う。
医療は仁術であり、お金儲けではない。
それは今でもそう思っている。

しかし、経営をしない医療は続かない。
利益を出せない医院は、良い医療を続けられない。
これは現実である。

田中氏は、その現実を私に教えてくれた。
しかも、金儲けの話としてではなく、医療を守るための経営として教えてくれた

私にとって、そこが一番大きかった。


1.新規開業に至るまで

私が大学病院を辞めた理由は、今考えても単純である。

良い医療をやりたかった。
自分が必要だと思う医療を、患者様にちゃんと提供したかった。
それだけである。

大学病院にいた頃、私は医局長という立場になった。
医局長になると、医者として患者様を診るだけでは済まなくなる。

人事がある。
会議がある。
病院との調整がある。
医局の中の問題もある。
上から言われることもある。
下から言われることもある。

医者というより、だんだん管理職のような仕事が増えていった。

もちろん、それも必要な仕事である。
大きな組織にいれば、誰かがやらなければいけない。
それはわかっている。
ただ、自分の中では少しずつ違和感が増えていった。

自分は何のために医者になったのか。
患者様を治療するためではなかったのか。
外科医として、自分の手で結果を出すためではなかったのか。

そう思うことが増えていった。

勤務医時代の私のモットーは、
自分のやりたいことをやる。
人から頼まれることをやる。
人が嫌がることをやる。
であった。

だから、仕事はかなりやったと思う。
しんどいことも多かった。
それでも、患者様から「きれいにしてくださってありがとうございます」と言われると、それだけで報われた気がした。

あれはリーマンショックの頃、2008年頃だったと思う。
金融危機が起こり、世の中がざわざわしていた。

ある日、大学病院の病院長に、医局長や外科系の主力メンバーが呼ばれた。
内容は、簡単に言えば、病院の売上を上げるために手術件数を増やしてほしい、という話であった。

病院側の事情はわかる。
大学の資産運用や投資が金融危機で影響を受け、病院経営を支える必要があったのだと思う。
だから、外科医に手術を増やしてほしいという理屈はわかる。

しかし、現場の外科医はすでに毎日ぎりぎりでやっていた。
必要な患者様の手術をして、外来をして、病棟を見て、緊急にも対応していた。
そこでさらに「売上のために手術を増やす」と言われても、ではどうすればいいのか。
現場としては、なかなか難しい話であった。

もうひとつ大きかったのは、レーザー治療である。

形成外科では、皮膚のレーザー治療も担当していた。

しかし、大学病院にある機器は古くなっていた。
治療効果も十分とは言えない。
時間効率も悪い。
新しいレーザー機器は世の中に出ている。
しかし、大学病院ではなかなか導入してもらえない。

これが本当にもどかしかった。

平成の時代になり、携帯電話やインターネットが急速に進んだ。
患者様は自分で調べるようになった。
どこの病院にどんな機械があるのか。
どんな治療が受けられるのか。
どの先生が何をしているのか。

患者様の情報収集は、明らかに早くなっていた。

レーザー機器がない、または古い。
治療の幅が狭い。
そうなると、患者様から選ばれなくなっていく。
これは現場にいると肌で感じた。

私は新しい機器の導入を望んでいたが、7年経ってもなかなか認められなかった.
その苛立ちは大きかった。

そんな中で、私は40歳手前になり、結婚し、子どももできた。
それまでの私は、病院で働くことに人生のほとんどをかけていた。
しかし、家庭を持つと、当然ながら時間の使い方も考えなければいけない。
人生の優先順位も変わってくる。

勤務への不満。
大学病院の限界。
家庭の事情。
そして、自分が本当にやりたい医療への思い。

それらが重なって、私の頭の中に「開業」という言葉が出てきた。

こうして私は、40歳で新規開業することになった。


2.開業してからの奮闘の日々

開業してからは、正直、毎日が手探りであった。

医者としては、それなりにやってきたつもりだった。
診断もする。
手術もする。
レーザーも打つ。
患者様への説明もする。

だから、開業しても何とかなるだろうと思っていた部分があった。

しかし、実際はまったく違った。

医療ができることと、医院を経営できることは違う。
これは開業してから、嫌というほどわかった。

患者様が来なければ始まらない。
スタッフが辞めれば現場が回らない。
機械を買えば支払いがある。
広告を出せば費用がかかる。
採用すれば教育が必要である。
クレームがあれば対応しなければいけない。
予約が崩れれば、待ち時間が伸びる。
待ち時間が伸びれば、患者様にもスタッフにも負担がかかる。

開業医は、医者であると同時に、経営者である。
これは頭ではわかっていたが、実際にやってみると重さが違う。

大学病院時代は、良くも悪くも大きな組織に守られていた。
患者様は来る。
給料は出る。
機械も病院のもの。
スタッフも病院の組織の中にいる。

しかし、開業すると全部が自分に返ってくる。

患者様が来ないのも自分の責任。
スタッフが辞めるのも自分の責任。
お金が足りないのも自分の責任。
患者様から怒られるのも自分の責任。
何か起これば、最終的にはすべて院長に戻ってくる。

これは本当に大変だった。

私は、良い医療をしたいと思って開業した。
しかし、良い医療をするためには、医院が続かなければいけない。
医院が続くためには、患者様に来ていただかなければいけない。
患者様に来ていただくためには、知ってもらわなければいけない。
知ってもらうためには、発信や広告も必要である。
スタッフに働いてもらうためには、給与も環境も教育も必要である。

つまり、医療と経営は別々ではなかった。
良い医療を続けるために、経営が必要だった。

開業当初の私は、そこがまだ十分にわかっていなかった。

医者として一生懸命やっていれば、患者様は来てくださる。
良い治療をしていれば、医院は自然に良くなる。
どこかでそう思っていた。

しかし、現実はそんなに甘くなかった。

良い医療をしていても、伝わらなければ選ばれない。
良いスタッフがいても、仕組みがなければ疲弊する。
院長が頑張っても、院長だけで回す医院には限界がある。

この当たり前のことを、開業後の毎日の中で学んでいった。


3.田中晋也氏との出会いで変わったこと

そんな時に出会ったのが、田中晋也氏であった。

田中氏と出会ってから、私の考え方はかなり変わった。
それは、単に売上の上げ方を教わったということではない。
広告のやり方だけを教わったということでもない。

もっと根本的なことである。

医者として良い医療をしたいなら、経営から逃げてはいけない。

これを教わった。

田中氏は、経営コンサルタントである。
しかし、私から見ると、ただの経営コンサルタントではない。

医療をわかっている経営コンサルタントである。
医療にかなり傾いた経営コンサルタントである。
そこが、私にとってとても大きかった。

普通の経営コンサルタントであれば、売上、利益、集患、広告、効率化、そういう話になると思う。
もちろん、それは全部大事である。
医院も経営体である以上、お金がなければ続かない。

しかし、医療はそれだけではない。

目の前には患者様がいる。
不安を抱えたご家族がいる。
治るのか、跡が残るのか、痛いのか、何回かかるのか、将来どうなるのか。
そういう不安を持って来院される方がいる。

そこに対して、医者としてどう向き合うのか。
本当に良い医療を提供できているのか。
そこを外して、ただ売上だけを追っても意味がない。

田中氏から教わったのは、
まず良い医療をやる。
患者様に必要とされる医療をやる。
他の医院ではなかなかできないことを、自分たちがきちんとやる。
そうすれば、患者様は来てくださる。
売上や利益はあとからついてくる。
という考え方であった。

ただし、ここで終わらないのが田中氏である。

「良い医療をやっていれば、お金のことは考えなくていい」
これは違う、ということも教わった。

良い医療を続けるためには、お金を稼がなければいけない。
利益を出さなければいけない。
利益がなければ、良いレーザー機器は買えない。
スタッフの給料も上げられない。
教育もできない。
広告も打てない。
新しい挑戦もできない。
分院も出せない。
東京にも行けない。

これは本当にその通りである。

医者は「お金の話」を嫌がる。
私もそうだった。
医療はお金儲けではない。
それは今でもそう思っている。

しかし、経営を無視した医療は続かない。
利益を出せない医院は、良い医療を続けられない。
これはきれいごとではなく、現実である。

田中氏は、その現実を、金儲けの話としてではなく、医療を守るための経営として教えてくれた。

私にとって、ここが本当に大きかった。

良い医療をやる。
そのために経営をする。
経営をする以上、数字から逃げない。
利益を出す。
そして、その利益をまた医療と人に戻していく。

この考え方が、私の開業医人生の中で、大きな軸になった。


4.人事マネジメント

開業してから一番難しかったことのひとつは、人である。

機械を買うことは、ある意味では簡単である。
お金を出せば買える。
もちろん高いし、簡単な話ではないが、判断としてはまだわかりやすい。

しかし、人は難しい。

スタッフを採用する。
育てる。
辞めないようにする。
役割を与える。
評価する。
注意する。
任せる。
時には厳しいことも言う。

これが本当に難しい。

医療は人で成り立っている。
医師だけでは何もできない。
看護師、受付、カウンセラー、クラーク、事務、助手。
それぞれが動いて、初めて医院は回る。

しかし、人数が増えると問題も増える。

院長が言ったつもりでも伝わっていない。
主任に任せたつもりでも現場でずれている。
スタッフ同士で温度差がある。
患者様への説明が人によって違う。
忙しい人にだけ仕事が集まる。
真面目な人ほど疲れていく。

最初の頃の私は、どこかで「自分が一生懸命やっていれば、みんなわかってくれる」と思っていた。
しかし、そんなことはない。

人は、思っているほど勝手には育たない。
組織は、思っているほど自然にはまとまらない。
良い人が集まれば良い組織になる、というほど簡単でもない。

田中氏から学んだのは、人事は気持ちだけでやってはいけないということだった。

誰に何を任せるのか。
どこまで権限を渡すのか。
何を評価するのか。
何ができたら次の役割に進めるのか。
主任は何を見るのか。
院長はどこまで見るのか。
仕組みにしなければいけない。

人に期待することは大事である。
しかし、期待だけでは組織は動かない。
仕組みが必要である。
役割が必要である。
評価が必要である。
教育が必要である。
そして何より、院長が全部抱え込んではいけない。

これは今でも難しい。
自分でやった方が早いと思うことは多い。
自分で説明した方が伝わると思うこともある。
自分で決めた方が安心することもある。

しかし、それでは組織は大きくならない。
院長の体力と時間の範囲でしか、医院は動かない。

田中氏からは、任せることの大切さも学んだ。
ただし、丸投げではない。
任せるためには、基準がいる。
確認がいる。
責任の所在がいる。
戻ってくる仕組みがいる。

人事マネジメントは、開業医にとって永遠の課題だと思う。
今でも難しい。
しかし、田中氏と関わる中で、人を責めるのではなく、仕組みを見直すという考え方が少しずつ身についたと思う。


5.新しい時代の営業・マーケティング

医療機関にとって、営業とかマーケティングという言葉は、正直なところ、少し抵抗がある。

医者が営業するのか。
医療を広告するのか。
患者様を集めるという言い方はどうなのか。

私自身も、開業当初はそういう違和感があった。

良い医療をしていれば、患者様は来てくださる。
そう思っていた。
そう思いたかった。

しかし、今の時代はそれだけではない。

患者様はインターネットで調べる。
ホームページを見る。
口コミを見る。
症例を見る。
機械を見る。
先生の考え方を見る。
他院と比較する。

そして、自分で選ぶ。

つまり、どれだけ良い医療をしていても、患者様に見つけてもらえなければ来院につながらない。
どれだけ良い機械があっても、それが伝わらなければ意味がない。
どれだけ真面目に診療していても、何をしている医院なのかわからなければ選ばれない。

これは、今の医療では避けて通れない。

田中氏から学んだのは、マーケティングは金儲けのためだけではないということだった。

自分たちが何をしている医院なのか。
どんな患者様に役立てるのか。
どんな治療を強みとしているのか。
どんな考え方で診療しているのか。
それをきちんと伝えることがマーケティングである。

あざの治療で悩んでいる赤ちゃんの親御さんがいる。
どこに行けばよいかわからない。
治療が必要なのか、様子を見てよいのかもわからない。
レーザーが効くのか、跡が残るのかもわからない。
そういう方に、必要な情報を届ける。

これは営業ではなく、医療の一部だと思う。

もちろん、広告費もかかる。
ホームページも作らなければいけない。
SEOもある。
リスティングもある。
SNSもある。
昔の医者からすると、面倒なことかもしれない。

しかし、そこから逃げていると、患者様に届かない。

良い医療をしているだけでは足りない。
良い医療を、必要な人に伝えなければいけない。
田中氏は、その重要性を早い段階から教えてくれた。

これは、今の時代の医院経営では本当に大事なことである。


6.心のマネジメント

経営をしていると、数字以上に大変なのは心である。

患者様が減る。
売上が下がる。
スタッフが辞める。
クレームが来る。
採用がうまくいかない。
お金が出ていく。
思ったように結果が出ない。

こういうことがあると、院長はかなり揺れる。

表面上は普通に診療していても、内心は不安になる。
自分の判断が間違っていたのではないか。
このままで大丈夫なのか。
スタッフはついてきてくれるのか。
患者様は来てくれるのか。
この機械を買ってよかったのか。
分院を出してよかったのか。

開業医は、思っている以上に孤独である。

医師としては患者様の前に立つ。
経営者としてはスタッフの前に立つ。
家では家族もいる。
弱音ばかり吐くわけにもいかない。
しかし、実際には不安もあるし、迷いもある。

田中氏に相談して良かったのは、そういう時に、感情だけで判断しないようにしてくれたことだと思う。

今起きていることは何か。
数字はどうなっているのか。
患者様は本当に減っているのか。
どこから減っているのか。
何が原因として考えられるのか。
すぐに直すことと、時間をかけることは何か。

こうして、感情と事実を分ける。
これが大事だった。

院長は、患者様が減るとすぐ不安になる。
スタッフが辞めると、自分が否定されたように感じる。
クレームが来ると、全てが悪いように感じる。

しかし、経営は一喜一憂してはいけない。
短期の結果だけで判断してはいけない。
やるべきことを決めて、改善して、続けていく必要がある。

田中氏からは、経営者としての心の持ち方も学んだ。

経営は、気合いだけでは続かない。
不安をなくすこともできない。
しかし、不安に振り回されないようにすることはできる。
これは、私にとって非常に大きかった。


7.規模拡大

医院が少しずつ大きくなると、また別の問題が出てくる。

最初は、院長が頑張れば何とかなる。
患者様を診て、スタッフに指示して、必要なことを決める。
小さいうちは、それで何とか回る。

しかし、患者様が増え、スタッフが増え、診療内容が増え、機械も増え、医院の規模が大きくなると、院長ひとりでは回らなくなる。

ここで必要なのは、根性ではない。
仕組みである。

診療の流れをどうするか。
説明をどう統一するか。
予約をどう組むか。
スタッフ教育をどうするか。
役職者をどう育てるか。
どの数字を見るか。
誰が何を判断するか。
トラブルが起きた時にどうするか。

これらを決めていかないと、医院は大きくなっても中身がついてこない。

規模拡大というと、売上が増えるとか、医院が大きくなるとか、良いことのように見える。
もちろん、良いことである。
しかし、同時に責任も増える。

スタッフの生活がある。
患者様の期待がある。
借入もある。
機械の支払いもある。
分院があれば、その院の責任もある。

医院が大きくなるということは、院長の責任が重くなるということである。

田中氏から言われ続けたことのひとつは、院長個人の医院から、組織としての医院に変わらなければいけないということだったと思う。

これは簡単ではない。

なぜなら、開業医はどうしても自分の成功体験に頼るからである。
自分がやればできた。
自分が説明すれば患者様は納得した。
自分が治療すれば結果が出た。
だから、自分がやればいいと思ってしまう。

しかし、それでは大きくなれない。
院長ひとりの医院から抜け出せない。

規模拡大とは、院長の分身を増やすことではない。
院長の考え方や基準を、組織に入れていくことだと思う。

そのためには、教育が必要である。
ルールが必要である。
任せることが必要である。
そして、任せた後に確認する仕組みも必要である。

田中氏からは、このあたりを何度も教わった。


8.分院展開

分院展開は、私にとって大きな挑戦であった。

一つの医院をやるだけでも大変である。
それを複数にする。
当然、簡単なわけがない。

場所が変われば、患者様も変わる。
スタッフも変わる。
導線も変わる。
地域性も変わる。
院長の目が届かないことも増える。

本院でできていたことが、分院ではできない。
本院では自然に伝わっていたことが、分院では伝わらない。
スタッフの文化も違ってくる。
同じ法人なのに、少しずつ空気が変わる。

これは分院展開をしてみないとわからないことだった。

分院を出すというのは、単に場所を増やすことではない。
医療の質を保ちながら、患者様に届く場所を増やすことである。
そのためには、理念と仕組みが必要である。

何のために分院を出すのか。
誰のために出すのか。
どの医療を守るのか。
どこまで本院と同じにするのか。
どこは分院の現場に任せるのか。
何を絶対に変えてはいけないのか。

ここを曖昧にすると、ただ医院が増えただけになってしまう。

田中氏と関わる中で、分院展開も勢いだけではいけないと学んだ。
夢だけでもいけない。
売上だけでもいけない。
準備と設計が必要である。

患者様にとって通いやすい場所に、必要な医療を届ける。
スタッフにとって働く場所と成長の機会をつくる。
医師にとって専門性を発揮できる場所をつくる。
法人として、安定した医療提供体制をつくる。

そう考えるようになった。

分院は、院長の自己満足で出すものではない。
患者様に必要とされ、スタッフが働けて、経営として成立するから出すものである。

これも、田中氏から学んだ大切な考え方である。


9.東京進出と将来

そして、東京進出である。

東京に出るというのは、私にとって大きな意味があった。

東京には多くの医療機関がある。
情報も多い。
競争も激しい。
患者様の目も厳しい。
地方でやってきたことが、そのまま通用するとは限らない。

だからこそ、何をやるのかが問われる。

自院は何のために存在するのか。
何を専門としているのか。
どんな患者様に役立てるのか。
他院と何が違うのか。
なぜ東京でやるのか。

ここが曖昧だと、東京に出ても意味がない。

私は、東京進出を単なる事業拡大とは思っていない。
小児あざ治療、レーザー治療、形成外科医療を、必要としている患者様にもっと届けるための挑戦である。

あざで悩んでいる子どもがいる。
不安でいっぱいの親御さんがいる。
治療した方がいいのか、待っていいのか、どこに相談すればいいのかわからないご家族がいる。

そういう方に、ちゃんとした医療を届けたい。

そのためには、医師としての技術だけでは足りない。
医院としての仕組みがいる。
発信力がいる。
人材がいる。
経営力がいる。

良い医療を届けたいなら、良い経営をしなければいけない。
これは、田中氏から学んだことの集大成だと思っている。

振り返ると田中氏に、私は本当にいろいろなことを学んだ。

医者は、医者である限り、経営者にはなれない。
これは少し極端な言い方かもしれない。
しかし、実感としてはかなり近い。

医者は、どうしても患者様を診る。
技術を磨く。
治療結果を考える。
それは当然である。

しかし、経営者はそれだけではいけない。
患者様を診るだけではなく、医院全体を見る。
今日だけではなく、来月、来年、10年後を見る。
医療だけではなく、人、物、金、時間を見る。
現場の感情も見る。
数字も見る。

この視点を持てるようになるまで、私は時間がかかった。

田中氏は、私にその視点を教えてくれた。
医療を捨てて経営をしろ、ということではない。
医療を守るために経営をしろ、ということである。

これが一番大事である。

良い医療をやる。
患者様に必要とされる医療をやる。
そのために医院を強くする。
スタッフを育てる。
利益を出す。
その利益を、また医療と人に戻す。
そして、もっと良い医療を届ける。

この循環をつくらなければいけない。

開業当初の私は、医者として良い医療をしたいという気持ちだけで走っていた。

それは間違っていなかったと思う。
しかし、それだけでは足りなかった。

今、ようやく少しわかってきた。

医療は、思いだけでは続かない。
経営は、数字だけでは続かない。
医院は、人だけでも、機械だけでも、広告だけでも続かない。

理念があり、医療があり、人がいて、数字があり、仕組みがある。
その全部がそろって、初めて良い医療を続けることができる。

田中晋也氏から学んだことは、私にとって、医者から経営者へ視点を広げる時間であった。
そして同時に、医者であり続けるために、経営者にならなければいけないと気づく時間でもあった。

これからも私は、医師として良い医療を追求したい。
しかし、それを続けるために、経営から逃げない。
数字から逃げない。
人の問題から逃げない。
組織づくりから逃げない。

患者様のために。
スタッフのために。
そして、自分が信じる医療を未来に残すために。

田中氏に学んだことを、これからの医院経営にも生かしていきたい。